04. 鱈からカヌーへ

永遠のカヌー04. 鱈からカヌーへ

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僕のカヌー探検は始まったばかりだけれど、今のうちに「そもそも」の話をしておきたい。

「そもそも」とは、いつイギリス人やフランス人がカヌーと出会ったのか、つまり白樺の樹皮で作られたバーチ・バーク・カヌーがいつ、西洋の「歴史」に登場したのかということだ。

僕がいろいろ調べたところによると、ヨーロッパ人で初めてバーチ・バーク・カヌーの存在を記録したのは、フランス国王の命を受けて「カナダ」にやってきた探検家ジャック・カルティエのようだ。

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それは1534年のこと。大西洋側からセントローレンス側を内陸へと遡っていたカルティエは、2艇のカヌーを目撃したことを記録している。日本で言うと、織田信長が生まれた年だ。

この時、カルティエが出会った先住民の人たちは、棒の先に毛皮をつけて振り回し、毛皮と交換に鉄製品を手渡すと大喜びして帰っていったのだという。

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だから、カルティエがやってきた時、既に先住民の人たちはヨーロッパ人と何らかの交流があり、彼らが毛皮を欲しがることを知っていた、ということになる。

考えられる接点は、大西洋に面したカナダ・ニューファンドランドの沖合「グランドバンクス」という海域で行われていた鱈(たら)漁だ。

かつてカトリックでは、一年のうちに「肉断ち」をしなければならない日がたくさんあったそうで、当時のヨーロッパでは「肉断ち」の時でも食べられるたんぱく源として、鱈が重宝されていたんだそうだ。

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なにしろその頃の「グランドバンクス」は、あまりの鱈の多さのために、海に突き刺した旗竿が倒れなかった、という話まである。

朝の満員電車みたいなもんだ。自力で立っていなくても、そう簡単には倒れない。まあ、車両いっぱいにタラがギュウギュウ詰めになっているのを想像すると、生臭くてたまらないのでいい例えではなかったかもしれない。

それはともかく、カルティエの探検以前に、先住民の人たちは、鱈漁の漁師たちとの接触の中で、ヨーロッパ人が毛皮を欲しがることを知ったのだと想像できる。

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ちなみにカルティエは、先住民の「集落」を意味する「カナタ」から、この地をカナダと名付けているし、セントローレンス川もまた彼の命名に由来している。

モントリオールには彼にちなんだ「ジャック・カルティエ公園」があるし、この地で登った山をモン・ロワイヤル=王の山と名付け、モントリオールの語源をつくってもいる。カナダを旅する時に、覚えておいて損はない薀蓄(うんちく)だ。

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そのカルティエに続くバーチ・バーク・カヌーの目撃者は、毛皮交易の一大ルート「フレンチリバー」を開拓した探検家サミュエル・ド・シャンプランだ。

計20回もカナダを探検したこの偉大な探検家が最初にカナダにやってきたのは、ジャック・カルティエの航海からおよそ70年後の1603年だ。日本では、織田信長は既にこの世になく、この年に徳川幕府が開かれている。

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シャンプランは、この最初の航海の際、先住民の人たちの言葉で「狭い水路」を意味するケベック周辺でカヌーを目撃している。

そして彼は、今のケベック・シティに木造の砦を建設し、その中に毛皮の交易所を設けるとともに、カヌーを毛皮交易に活用すべきだと主張したのだという。

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シャンプランこそが、ビーバーの毛皮交易とカヌーを結びつけた人物であり、1608年にカナダにやってきた時には、毛皮交易ルートとして、あの「フレンチリバー」を開拓したのだ。

毛皮交易の最初の拠点が設けられたケベック・シティには、この町の今と昔を表した壁画がある。有名な観光スポットの1つだから是非、見ておいてほしい。

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ジャック・カルティエは地球儀を手に上の階の窓から外を眺めている。一方のシャンプランはというと、アイスホッケーに興じる子供たちの横で、望遠鏡を手に立っていた。

今度、ケベック・シティに行くことがあったら、カルティエとシャンプラン、それに鱈とビーバーの関わりを思い出しながら、じっくりと眺めてほしいと思う。

まあ、僕なんかは、シャンプランの横に描くのはアイスホッケーじゃなく、カナディアンカヌーだろうに、などと思ってしまうのだが。

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