ナイアガラの滝:轟音の大瀑布の伝説をたどって

レジェンド・オブ・フォールズナイアガラの滝:轟音の大瀑布の伝説をたどって

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いつもより早く目を覚まし、ホテルの部屋のカーテンを開けた。窓の向こうの眩しい日差しに導かれ、散歩をするために外へ出ると、空は晴れているのに小雨が降ってきた。肌に触れる霧のような水滴が、何だか気持ちがいい。そんな爽やかな朝を楽しむ私に、近くにいた男性が語りかけてきた。

「これは雨じゃないよ。今日はこっち(カナダ側)に風が吹いているから、ここまで滝の水しぶきが飛んできているんだ」

別にホテルの目の前に滝があるわけではない。でも確かな水しぶきを肌で感じることができる。そしてよく耳をすませば、遠くから轟音が聞こえてくる。これは夢ではない。そう。私は今、伝説の場所、ナイアガラにいる。

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世界三大瀑布のひとつであり、カナダ有数の観光名所でもあり、地質学上の驚異とも言えるナイアガラの滝。大自然によって創造された力強さと美しさを感じさせる大瀑布は世界中の人々を魅了し続けている。この滝をひと目見ようと毎年1400万人もの観光客がナイアガラを訪れている。

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ナイアガラの滝が形成されたのは、12000年前と推定されている。滝の端は現在より11キロも下流にあったとされており、水の流れの調節が始まる1950年代まで、滝のふちは浸食により毎年3センチずつ後退していたらしい。

「ナイアガラ」の語源についてはさまざまな説がある。観光案内やガイドブックでは、先住民の言葉で「雷鳴の轟く水」を意味すると紹介されているが、これには学術的な根拠はないようだ。ただ、ナイアガラ・フォールズで聞こえてくる轟音を耳にすると、その呼び名はピッタリだと感じてしまう。もしかしたら先住民はコピーライティングのセンスがあるのではないかと考えたりしてしまう。

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ナイアガラの滝は、国境のカナダ側にあるカナダ滝(ホースシュー滝)とアメリカ側にあるアメリカ滝の2つの滝から成る。その大きさは、カナダ滝が落差52m、幅675m、そしてアメリカ滝は落差34m、幅320m。数字を聞くだけでも大きいと感じるが、実際にこの場所を訪れるとそのスケールと迫力に圧倒される。

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ちなみに実はもうひとつ、アメリカ滝の右に小さな滝があるのをご存じだろうか。これは自然の力でアメリカ滝から分離されたもので、通称ブライダルベール滝と呼ばれている。つまり正確に言うと、ナイアガラの滝は、アメリカ滝とカナダ滝(ホースシュー滝)、ブライダルベール滝の3つの滝から構成されているということになる。

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ものすごい水量のナイアガラの滝の水は、上流のエリー湖から発しており、その水の90%がカナダ滝に流れている。元々は1時間当たり55億ガロンの水が滝を流れていたが、現在では侵食のスピードを抑えるため、カナダ、アメリカの両政府が水量の調整を行っている。加えて、水の一部はアメリカおよびカナダへの電力供給のために流用されており、今ではナイアガラの滝は世界最大の電力源となっているのだ。

そんなナイアガラの滝の驚異は多くの人の興味を引き付け、かつて多くの「デアデビルズ(daredevils)=命知らずたち」が木の樽からゴムボールまで様々な工夫を凝らした装置で滝を「征服」しようとしてきた。それらは今でも伝説として語り継がれている。

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北アメリカの民間伝承にしっかりと定着しているデアデビルたちのことを「バレル・ブリゲート(The Barrel Brigade)」と呼んでいる。そこには男性も女性もいて、ナイアガラの滝を何かしらの乗り物に乗って下るという、大抵の人には考えも及ばないような行為で、ニュースの見出しを飾ってきた。彼らは数千ガロンの水の爆流から身を守る手段として、わずか数インチの厚さの木や金属しか使わないことも。興味深いことにこうした冒険家たちは、落差の大きいカナダ滝を選び、アメリカ滝には挑戦していない。その理由は、アメリカ滝は水量が少なく、岩がより多く突き出ているため、ずっと危険だからだ。1901年以降、15人の冒険者がカナダ滝での滝下りに挑戦している。

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<アニー・エドソン・テイラー>
樽に入ってナイアガラの滝下りを行った最初の女性であり、初めて無事の生還を果たした人でもある。1901年にナイアガラの滝にやってきた貧しい未亡人のテイラーは、この挑戦によってお金が稼げると思っていた。マネジャーを雇った彼女は1901年10月24日に、自ら設計した樽に入って、滝下りに挑戦し、見事に生還した。しかし、残念ながら「ホースシュー滝のヒロイン」となっても期待したような大儲けにはつながらなかった。

<ジャン・ルシエ>
史上3番目に滝下りに成功した人物。ルシエは1928年7月4日、樽ではなく、酸素が入ったゴムチューブを内側にたくさん張り付けた直径6フィートのゴムボールの中に入って飛び込んだ。彼は生還し、後にそのボールのゴムチューブのかけらを売って副収入を得たとか。

<スティーブン・トロッターとロリ・マーティン>
1995年6月18日、トロッターとマーティンは1つの樽に入って滝下りに成功した初めての男女ペアとなった。すでに10年前にトロッターは単独での滝下りに成功していた。この時は2つのピクルス用の樽に大きなタイヤチューブを巻き付けた珍妙な装置を使った。1989年には、カナダのピーター・デベルナルディとジョフリー・ペトコビッチが2人で1つの樽に入っての滝下りに初成功しているが、彼らと同様、トロッターとマーティンも軽傷だけで帰還することができた。

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もちろん、この滝の挑戦は成功ばかりではない。その何倍もの挑戦者が命を落としている。だからこそ、生存した人は伝説の一部になることができるのだ。

もしかしたら自分も滝下りに挑戦してみたいと思う勇敢な人がいるかもしれないが、幸か不幸か、現在はカナダ政府から滝下りは禁止されている。仮に滝下りをしたら最大1万ドルの罰金を科せられる可能性がある。こんな割に合わない挑戦はないだろう。

でも滝下りだけではない。ナイアガラの滝には数多くの伝説が存在する。信じられないようなユニークな挑戦をした人もいる。
1859年夏、「ザ・グレート・ブロンディン」として知られているジーン・フランソワ・グラベレットが、滝から約1マイルほど下流の早瀬の上方でナイアガラ渓谷を綱渡りする一連の有名な挑戦を始めた。このパフォーマンスは25000人もの観衆を引き付け、ブロンディンは背中にマネジャーを背負った状態でロープの上を歩く、という芸当もやってのけた。その後、多くの人が綱渡りに挑戦して成功している。

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そして記憶に新しい、2012年6月15日にも曲芸師のニック・ワレンダ氏がナイアガラの滝を米国側からカナダ側へ横断する綱渡りに挑戦した。これはナイアガラ・パークス・コミッションの特別な許可を得て行われたものだが、ナイアガラの滝の滝壺の真上を渡るのは史上初めてのこと。この信じられない挑戦をひと目見ようと詰めかけた多くの人が詰めかけた。さらにABC放送がテレビ中継をしたが、万が一の事態を考慮して生中継ではなく、5秒遅れでの実況放送だった。そんな大注目の中、ワレンダ氏は、長さ550mのワイヤーの上を25分強で見事に渡り切った。新しいナイアガラ伝説が誕生した瞬間だ。このニュースは、世界中に配信された。

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ナイアガラ・フォールズの繁華街、クリフトン・ヒル近くのビクトリア通りを歩いていると、道路の上に一風変わった人形を見つけることができる。アニメのキャラクターでもカナダを象徴する動物でもない。綱渡り師の人形だ。道路に落ちないか心配になるが、よく見るとちゃんとワイヤーで固定されているから大丈夫そうだ。ここでは、どんなヒーローよりも綱渡りに挑戦した人の方がかっこいいのかもしれない。でもそれくらいの偉業を達成していることだけは確かだ。

ちなみに挑戦したわけではないが、奇跡の伝説もある。1960年7月9日、当時7歳の少年、ロジャー・ウッドワード君が、ボート事故の後、滝に流された。奇跡的に彼は軽傷を負っただけで生き延び、遊覧船に救助されたのだ。彼は、体を守る物を何も身に着けないで滝を下り、生還した最初の人間として、結果的にナイアガラの伝説の一部にその名を残すことになった。

ナイアガラ・フォールズに鳴り響く轟音。ゆっくりと目を閉じると、その音の中から数々の伝説を残してきた冒険者たちの声が聞こえてきそうだ。

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