08. 駅を守る人
Byron Harmon, Lake Louise Station, ca. 1915, (v263-na-4901), Whyte Museum of the Canadian Rockies

カナディアン・ロッキーを越えて08. 駅を守る人

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ロッキーマウンテニア号は速度を落とし、レイク・ルイーズの「駅」に停車した。

ここから先、列車はロッキー観光の拠点、バンフへと向かっていくけれど、僕のロッキーマウンテニア号での旅はここで終わりだ。列車を降りて、1910年に建てられた歴史ある駅を守り続けている人に会わなくてはならない。上の写真の丸太小屋のようなのが、かつてのレイク・ルイーズ駅だ。

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「ロッキーの宝石」とも呼ばれる景勝地、レイク・ルイーズ。その最寄駅として、かつてはカナダ太平洋鉄道(CPR)の旅客列車が、たくさんの観光客を次々とこの駅へ運んできたはずだ。

しかしモータリゼーションの進展の影響だろう、1989年にCPRは、採算上の理由から貨物輸送に特化することとし、旅客部門からの撤退を決断する。代わってCPRから線路を借りる形で、1990年にロッキーマウンテニア号の運行が始まったというわけだ。

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だからこの「駅」には駅員もいないし、改札もないし、切符を買うこともできない。というよりも、厳密には「駅」ではない。かつての「駅舎」と言えばいいのだろうか。

CPRが旅客部門から撤退し、この駅も取り壊されると聞いて、なんとか駅を守ろうと考えたのが、レストラン「レイク・ルイーズステーション カフェ&ビストロ」のゼネラルマネージャー、ジェリー・クック氏だ。

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「当時のレイク・ルイーズの駅はボロボロで、ガーデンもないし、石ころだらけだった」とクック氏は語る。

ガーデン?―。

かつてCPRの駅ではどこでも、駅長はみな時間を見つけては駅のすぐそばに「ガーデン」をつくり、乗客に楽しんでもらっていたんだそうだ。その「ガーデン」も当時は荒れに荒れていたのだろう。

「駅がなくなってしまうのは本当にさびしいと思った。だから責任者に会って、『あの駅をどうするんだ』と聞いたら、『1ドルで売ってやる』と言われたんだ」

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それは、たった1ドルで駅舎を譲る代わりに、引き続き貨物列車を運行するCPRの乗務員用宿舎をそばに建ててほしい、というなんとも粋な提案だったという。

クック氏はこの提案を受け入れて駅舎を改装し、宿舎を建て、1991年にレストランとして「駅」を再スタートさせた。もちろん「ガーデン」もこれを機にきれいに生まれ変わらせた。

駅舎の横には、CPRの1925年製ダイニングカーと、1906年製ビジネスカーが置かれている。ダイニングカーはもちろん食堂車だけれど、ビジネスカーとはあまり聞かない名前だ。

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ビジネスカーはCPRの歴代の社長、副社長ら最高幹部の専用車両で、常に列車の最後尾に連結されていたそうだ。

列車以外の長距離移動の手段がなかったこともあり、CPRの最高幹部たちはこのビジネスカーに乗り、移動しながら、泊りながら、仕事をしていた。

だからキッチンがあって専用の料理人と給仕がいて、シャワールームもある。この下の写真にある小さめの秘書の部屋もあり、常に事務を取り仕切り、記録をとったりしていた。

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100年以上も前に作られたこのビジネスカー、今は「レイク・ルイーズステーション カフェ&ビストロ」を 取り仕切るクック氏の仮住まいになっている。もちろん自宅は別にあるのだが、ここで寝泊まりすることも多いらしい。

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そしてビジネスカーの内部には、いたるところにこうしたベルが取り付けられている。シャワールームでもキッチンでも廊下でも、文字通り、いたるところにベルがある。このビジネスカーの主(あるじ)がベルを押すと、秘書やスタッフがすぐに飛んでくる、という仕組みだ。

まるで王様のようだ、と尋ねると、こんな答えが返ってきた。「当時のCPRの社長は、まさしく王様にも等しい存在だったはずだよ」―。

カナダという国の物資輸送の大動脈を支える大陸横断鉄道の社長の権力とは、いかばかりだったのだろうか。

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ビジネスカーの最後尾、「王様」の執務室の天井には、照明と扇風機とサーキュレーターがいっしょになったようなユニークな装置も取り付けられていた。扇風機のカバー部分が回転して風を室内に循環させるのだ。

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一方のダイニングカーの方は今、レストランの一部として、団体やグループが食事をする際に使われているそうだ。豪華で趣きを感じさせる内装だ。

そこで使われている銀食器も、かつてはCPRの車内で使用されていた年代もので、一つ一つにちゃんと「CPR」の文字が彫り込まれている。一方で、「CP」とだけあるのは、「CPR」が経営していた旅客船の食器。いずれも1900年代はじめ頃のものだ。

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どうして取り壊される駅を譲り受け、多額の費用をかけてまで改装し、レストランを経営しようと考えたのだろうか。

「自分たちが守らなかったら駅はなくなっていた。そうなるのは本当に残念だった。駅は絶対にあった方がいい。みんな列車は大好きだし、子どもだって電車のおもちゃをねだるじゃないか」

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クック氏の父親は蒸気機関車の、そしてのちにディーゼル機関車の運転手だったそうだ。

「子供のころに父親が何度か蒸気機関車に乗せてくれた。それは本当に素晴らしい思い出だ。わたしは蒸気機関車が大好きなんだ。車両も車輪もエンジンもすべてが大きい。石炭が燃える臭いも好きだ。まるで動くアートのようだ。蒸気機関車が好きだ。だから、このレストランを始めたんだ」。

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その日の夜、レストランとして蘇った駅舎で食事をとった。メープルシロップの風味豊かなサーモンに、脂身の少ない赤身のAAAアルバータビーフのステーキ。

列車を降りた時は、やっぱり「駅」に出迎えてほしい。たとえそれが本当の駅ではなく、レストランであったとしても。「駅は絶対にあった方がいい」と語るクック氏に、理屈ぬきで賛成したいと僕は思う。

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