10. 建国の父

僕とアンが見つけた14の物語10. 建国の父

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「さるカナダの首相が遊説旅行のコースのなかにプリンス・エドワード島を加えたことが、グリン・ゲイブルズの少女アン・シャーリーの運命にたいした、いや、何ら関係をおよぼすはずはないと思えるだろう。ところが、そうではなかったのだ」-(モンゴメリ著/村岡花子訳/新潮文庫刊「赤毛のアン」より)

カナダの首相の演説を聞きに大人たちが外出したがために、大変な事件が起きたり、支持政党はどこか、なんて会話が登場したり。

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アンの物語にはしばしば、「政治」がひょっこりと顔をのぞかせる。

物語の第1巻の舞台は1880年代。だとすると、PEIがカナダ連邦に参加してからさほど年月が経っていない時期になる。

だから作者のモンゴメリにとっても、島の人たちにとっても、「政治」はけっこう身近な存在だったんだと思う。

僕らはあまり意識していないけれど、カナダというのはものすごく若い国なんだ。カナダの建国は1867年。日本で言うと大政奉還の年だ。

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坂本竜馬とか勝海舟とか西郷隆盛とかが、徳川の世の後、日本はどうあるべきか、なんてことをやっていた頃、カナダという国はようやく産声をあげたってことになる。

産声と書いたけど、カナダが本当に「産声」をあげた場所は、実はここ、PEIなんだ。

カナダ史にとってのこの大事件を、きっとほとんどの人が知らないだろうと思う。もちろん、僕だって知らなかったさ。

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1864年9月、シャーロットタウンのプロビンスハウスで開催された「建国会議」で、1つの国としてまとまっていこうという合意ができた。これがなければ、今の姿のカナダは存在しなかったかもしれない。

ただし、本当のところ、当時のPEIはカナダ連邦には参加したくなかったというんだから、事態はなんとも複雑だ。

これじゃあ原稿だって書きにくくってしょうがない。

それはともかく。

故木村和男先生の著書「カナダ歴史紀行」(筑摩書房)によると、ノバ・スコシア、ニュー・ブランズウィックとともに「沿海同盟」の結成を目指していたPEIは1873年、ついにカナダ連邦への参加を決める。

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理由は、「無謀な鉄道建設によって島の財政が破産寸前になったから」だそうだ。

アンだって、ノバ・スコシアの孤児院から船でPEIに渡り、そこから鉄道でマシュウとマリラの下にやってきた。けれど今、その鉄道は1つも残っていない。

すべての線路が撤去されてしまった赤い道は、島中にはりめぐらされたサイクリング・コースになっている。

おもしろいのは、クロスカントリースキーやら馬やら、そんなものでこのコースに入るな、という標識が掲げられていたりすることだ。

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禁止するってことは、そんなことを考える輩が本当にいるってことなんだろう。

さて、1864年の「建国会議」に参加した政治家たちは、のちの初代カナダ首相、ジョン・A・マクドナルドをはじめ、「建国の父」と呼ばれている。

PEIから「建国会議」に参加した「父」たちは
・George Coles
・John Hamilton Gray
・Edward Palmer
・Andrew Archibald Macdonald
・William Henry Pope
―の5人。

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そして2014年は、「建国会議」から150年の節目の年だ。

そこで、もし時間があったらシャーロットタウンで5人の「父」たちに会ってほしいんだ。

といっても、彼らの名前が残っている場所を訪ねて、カナダ建国の歴史に少しだけ思いを馳せてはどうかっていう提案なんだけど。

例えば、John Hamilton Grayは高校の名前として今も知られている。

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この学校は毎年11月、聖なる夜に向けて、売上の一部を学校に寄付する「クリスマス・フェア」を開催している。

規模が大きいし、いい品物がそろっているから、シャーロットタウンのみんなが楽しみにしてるんだそうだ。

George Colesは州議会の議員事務所の名前になっているし、ちょっと足を伸ばせばWilliam Henry Popeの邸宅やPope通り、Palmer通りなんてのもある。

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一生懸命調べたんだけどMacdonaldはたくさんありすぎて、Andrew Archibald Macdonaldにちなんだ名前なのかどうか、さっぱり分からなかった。

かといって、ここであの有名なハンバーガー・チェーン店に行ってはどうか、なんて冗談を言い出すのもいかがなものかと思う。

でも、Macdonaldなら、実はシャーロットタウンのど真ん中で、ベンチに座っているんだ。

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もっとも、それは初代カナダ首相のジョン・A・マクドナルドの方だけど。

まあ、ちょっと座っていきなよ、みたいな顔をしている。このベンチに腰を下ろしてから、他の4人の「父」たちに会いにいくってことにしたらどうだろう。

カナダ連邦参加に積極的ではなかったことで分かるように、PEIの人たちは昔から、穏やかに見えて独立心が強かったんだと思う。

例えば、こんなエピソードもある。

本土との行き来をフェリーに頼っていたこの島に、1980年代、巨大な橋の建設計画が持ち上がった。

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この時も、静かな島の生活が壊されてしまう、といった理由で、島内からは強い反対意見が出たそうだ。

幸い、この橋は今、カナダ本土と島を結ぶコンフェデレーション・ブリッジとして、PEIを代表する観光名所になっている。

島の良さを大事に守っていきたい、というPEIの人たちの思いは、150年前も今も変わっていないってことなんだろう。